
私の生家は農家では無かったが、父の兄がバクチ打で田畑を殆ど無くし
ブラジルへ移民として家屋敷を残して行ったので、父がそこへ住むようになった
家族し5人であったが、私は乳飲み子だったので経緯は後で知った。
農家育ちでない母は、屋敷の周りに残った畑で野菜を作り毎日の食卓に
用意して私達子供3人は育った。
私は結婚して仙台市で所帯を持つことになり3年程仙台で暮らした。
私は、実家と姉の所へは良く行った、というのは姉の嫁ぎ農家だったので
野菜を貰うのが目的だった
姉の嫁ぎ先の姑がかなり厳しく食事作りを指導された事もあったのか
農協婦人部の食事改善委員をしていた。
戦後15年は過ぎていたが農家の食事は、自分で作った農作物が主体で
あり、肉類は自分の家で飼っている鶏と兎の肉を良く食べていた。
私共は都市部に住んでいたが野菜を貰うのが楽しみだった。
そんなある日「○○(私の名前)には野菜を毎日必ず出させること、
特に豆類は毎日食べるように」 と言われたと妻から聞かされた。
姉は農協婦人部で食事改善委員をしているのだから、私共にも言って
呉れたのだろうと妻と話しをした。
戦前の各々の家庭には、食事の味付けが、シキタリのように受け継がれて
いた、だから同じ具材でもその家、その家での味がちがうのだろう。
味噌は各々の家で作る保存食で有るから、各々の味が異なっていた
だから「味噌汁の歌」に有るように子供には「母の味」として忘れ難い
のだろう。
私は、仙台市から転勤を3度ほどして定年退職となり、ある県の県都に
住むことにした。
住んでから、仕事に精を出すこともなくなり、ふと気が付いた事で、
朝食に必ず豆が何らかの形で食膳に有るのに気が付いた。
妻に聞いたら、お姉さんの家に行った時に「豆類は毎日たべる事」と
言われたので「づうーっと出していた」というのだ。
私は妻に、お礼いを言い、律儀な妻に頭が下がった。
そのお蔭で私は健康そのもので、テニスと家庭菜園に励んでいる。
その昔は、姑から嫁という形でその家々の食事を受け継いでいたのだろう
だから姉が嫁いだ家では姉に食事の伝承をしたのだろう、そして姉は
農協の食事改善委員として、私の家族である妻にも話したのだろう。
我が家で子供が3人居たから家内はその子供達へも毎日食べる食事の事も
多分に話し聞かせて育てたと思って居る。
その後、豆類の体に対する効用効果を調べてみたら、ぴっりした
豆類にはかなりの種類があるのだが、良く食べている「大豆」と「あずき」
の効用は凄いものだ。
大豆は、豆腐、納豆、乳豆、味噌、醤油、と毎日どれか食べている事になる
小豆(あずき)は甘党には格別なものだろう。特にあずき茶は良いようだ。
昨今野菜は高価な食材ににりつつあるように思う。
野菜作りの農家は1年に1度より育たない野菜での収入は労働に対応しない
所得で農家人口が減少している。
私達の体に良いく毎日必ず食べる野菜は農家の人々によって提供されている
ことを思い感謝して頂きましょう。私は家庭菜園を行って良く判った。
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